エンタメ化した政治という主題が浮かび上がる ― 「フロスト×ニクソン」レビュー
当時ウン千万人が視聴したとされる有名なTVショウを題材にした戯曲を映像化したのが本作。舞台版の脚本を練り上げたピーター・モーガン本人が脚色しているのだが、映画化に伴い構成に大きな変更が加えられているようだ。舞台版ではフロスト、ニクソンそれぞれの側近が交代に進行役を担当するという画期的な構成だったようだが、映画では”数年後に側近たちが当時を振り返る”という構成に変更されている。このありきたりな構成への変更は、物語を語る上では十分に機能しているが、映画としての魅力にはつながらない。例えば、側近たちがインタビューに答えるという二重構造が物語に生かされていないし、過去を振り返るという行為自体が物語の臨場感を殺ぐ。何とか舞台版の構成を再現出来なかったか。
モーガンの脚本は、インタビューの内容自体を掘り下げるものではなく、あくまでフロストとニクソンという2人の対照的な人間性を描くことに焦点が置かれている。インタビューを企画したフロストの危機的なキャリアの背景を描きこみ、ニクソンとのインタビューが彼にとって一世一代の”対決”の場であるというムードを強調する。政界復帰を目論むニクソンの思惑しかりで、ゴングが鳴るまでのお膳立てが丁寧に描かれる。ショウと化したTV番組に倣うかのように、映画もまた2人の対決を故意に煽って演出することで、今日の”エンタテインメント化した政治”を揶揄してみせる。唸る主題の描き方だ。
ただし、”フロストがどのようにしてニクソンを追い詰めたのか?”という、観客がもっとも興味惹かれるからくり部分についての描きこみは拍子抜けで、映画自体のエンタテインメント化には必ずしも成功していない。もっと大きなカタルシスがあれば、映画の主題がもっとくっきり浮かび上がったはずだ。
ランジェラ演じるニクソンは決して似ていないが、”人間としての”ニクソンを表現するのに成功している。一方、フロストを演じたマイケル・シーンは器用な中に豊かな感情表現を見せる申し分ない仕事振り。2人の熱演が映画に華を添える。