紋切り型の映画的メロドラマ - 「悪人」レビュー
この意味深なタイトルで、”本当の悪人は誰なのか?”というテーマで大見得を切るのなら、もっと野心的であって欲しかった。悪人に見える人間が実は善人で、悪い奴は他にいる、という紋切り型の押し付けでは、”表層の情報が真実とは限らない”くらいのテーマしか伝わらない。
主人公・祐一の不幸な背景や祖父母孝行を丁寧かつ印象的に描く一方で、被害者たる佳乃や容疑者の増尾に関しては表面的な悪だけを露出させる。実はこれも立派な”表層の情報”で、テーマに反したその乱暴な描写は違和感としてくっきりと残る。
この映画で本当に描くべきは、善人の祐一が悪を働いてしまったことの背景や、祐一の善に気付いた光代の妄信的な守護ではなく、むしろ佳乃や増尾の悪の裏にある善だったのでは。主人公2人の逃避行にドラマの比重を置きすぎて、本来多角的であるはずの視野が狭められてしまった感が否めない。
李相日監督の画作りはさすがのクオリティで唸るが、良くも悪くも映画的で、その巧さが逆に映画を凡庸にしている感も。例えば祐一の孤独を際立たせるべく、灯台のふものに置き去りにされる子供時代のカットを挿入したり、モロ師岡演じるバス運転手に必要以上の見せ場を与えたり。孫から贈られたスカーフを巻いた樹木希林をガラスに映して撮影する印象的なカットもそう。妻夫木と深津の生々しい濡れ場に代表されるリアルな息遣いと同居させるには、ちょっと映画的過ぎるシーンの数々だ。あと、深津に国道のくだりを台詞でしゃべらせたのも蛇足。その前のカットで、ホテルに誘われた深津が迷いを断ち切る心情を、車のガラス越しに一瞬映る職場のカットで説明するという素晴らしいシークエンスがあったのに、後でだらだらと台詞で説明して台無しにしてしまった。
東宝作品だからなのか?李監督のポリシーなのか?やや観客に対して親切すぎる説明過多な演出が目に付いた。映画のテーマも同じく、親切にもシンプルにまとめられ、観客は誰が悪人なのかを思い悩むことなく、作り手が提示する真の悪人に怒りの矛先を向け、善人の主人公に同情すればいいという作りになっている。わかりやすいドラマを作りたいなら、この映画のタイトルはご勘弁願いたい。