[受賞予想] スコセッシが監督賞を受賞できない理由
■ 監督賞
ウディ・アレン (ミッドナイト・イン・パリ)
ミシェル・アザナヴィシウス (アーティスト)
アレクサンダー・ペイン (ファミリー・ツリー)
マーティン・スコセッシ (ヒューゴの不思議な発明)
テレンス・マリック (ツリー・オブ・ライフ)
映画史を代表するそうそうたる顔ぶれがそろった今年の監督賞部門。マーティン・スコセッシ、ウディ・アレン、テレンス・マリックという、”巨匠”の冠ですらその功績を十分に形容しきれないオールスターだ。この中に入ると、計5回のノミネート(監督賞・脚色賞含む)を誇るアレクサンダー・ペインですら、駆け出しの映画青年に見える。
さて今回、下馬評ではマーティン・スコセッシ(ヒューゴの不思議な発明)が大本命のように言われているが、果たして本当にそうなのか。作品賞部門で本命視される「アーティスト」を差し置いてスコセッシを本命視する予想の論調は、彼のこれまでの功績に対する称賛が得票に結びつく、あるいは若手フランス人監督よりずっと会員のリスペクトが厚いから、といったものが多い。それらの根拠が正しいのかどうかを検証するために、少しアカデミー賞の歴史を紐解いてみよう。
かつてアカデミー賞は西海岸でのなわばり意識が強く、いわゆる”ニューヨーク派”と呼ばれる作家性の強い芸術派肌の監督たちを冷遇してきた。マーティン・スコセッシとウディ・アレンはまさにその代表的な存在で、アレンは77年、「アニー・ホール」で早々に監督賞と脚本賞をダブル受賞するも、その後は計19回のノミネートで受賞は86年の脚本賞(ハンナとその姉妹)のみとなっている。
一方のスコセッシは70年代から「ミーン・ストリート」「アリスの恋」「タクシー・ドライバー」と傑作を連発してきたが、アカデミー賞からお声がかかることはなかった。80年の「レイジング・ブル」で初めて監督賞にノミネートされるが、オスカー像は人気俳優ロバート・レッドフォード(普通の人々)にさらわれた。21世紀に入って、レオナルド・ディカプリオという盟友に”見出された”スコセッシは、念願の企画「ギャング・オブ・ニューヨーク」で4度目の監督賞ノミネートを受けるが、受賞確実と言われたここでも賞を逃した。さらに2年後、今度こそ間違いなしと思われた「アビエイター」で5度目の落選を喫すると、アカデミーの”スコセッシいじめ”は誰の目にも明らかなように見えた。06年、ディカプリオとの3度目のコンビ作となる「ディパーテッド」でようやくオスカー像を手にする頃には、多くの映画ファンの間で同情票による受賞だと揶揄されてしまう始末だった。
早い話が、スコセッシはアカデミー会員たちに決して好かれてはいない。念願のオスカー像を手にはしたが、ハリウッドの人気者たるディカプリオというカードを手にしてもなおこれだけ苦労したことから、いまだに冷遇され続けているという見方も出来る。
スコセッシが冷遇され続ける理由の1つに、エリア・カザンの存在がある。「紳士協定」「波止場」で2度のオスカーを受賞した名監督のカザンは、赤狩り時代に仲間を”売った”として多くの同業者から批判されている。そのカザンが98年にアカデミー賞名誉賞を授与されたとき、壇上でオスカー像をプレゼントしたのがスコセッシだった。授賞式では出席した一部の同業者たちが冷たい視線を送り、ウォーレン・ベイティやメリル・ストリープなどはあからさまに不快さを表した。(訂正:ベイティとストリープはカザンを称賛した側)カザンを擁護することは多くの同業者を敵に回すことであり、このことがスコセッシのオスカー受賞を遅らせたとする推測には説得力がある。
問題の授賞式はもう10年以上前の話だが、スコセッシのカザンに対する立場の表明は同業者の胸に深く刻み込まれている。つい2年前、スコセッシはヴェネチア国際映画祭で共同監督作「エリアへの手紙」を出品し、あらためてカザンへの思いを語った。この件に関してはスコセッシも一歩も譲る気はなく、たとえ同業者に嫌われようがカザン擁護の立場を貫く所存のようだ。
今回の監督賞部門で争点の1つとなるのは、「アーティスト」と「ヒューゴ~」の作り手たちの”映画愛”だ。まだ45歳と若いフランス人のミシェル・アザナヴィシウスがハリウッド黄金期へのオマージュで見せた愛なのか、フィルムの保存・修復を目的とする団体の代表も務める69歳の巨匠が映画創世記の逸話をモチーフに語る愛なのか。その点だけ見れば、映画という文化に身を捧げてきたスコセッシ優位だろうが、作品人気の差(「アーティスト」が上)とカザン問題が要素として加わってくる。
前哨戦実績を見ても、スコセッシは重要3賞で受賞はゴールデン・グローブ賞のみ。もともと外国人記者クラブはスコセッシが大好きなので、この結果はアテにならない。むしろ、ブロードキャスト批評家賞と監督組合賞でアザナヴィシウスの後塵を拝したことが問題だ。これがすなわち同業者たちの意思表示ととることもできる。
というわけで、受賞するのはミシェル・アザナヴィシウスだろう。それほどキャリアもない若手フランス人だが、アカデミーは昨年も同じような若手イギリス人に監督賞を授与している。むしろ昨年のトム・フーパーよりも、自国の映画文化を愛情たっぷりに描いてくれたアザナヴィシウスのほうがより好まれるのではないか。キャリア不足、知名度の低さなどがマイナス要因とされているが、受賞へのハードルはそれほど高くないと見る。
ただ、個人的にはやはりスコセッシの受賞を期待したい。「ディパーテッド」では受賞すべきではなかった、とさえ言われているだけに、今回もし受賞となれば、それはスコセッシが”初めて”アカデミーに認められた瞬間だ。長らくの不遇やカザン問題を乗り越えての”初受賞”で満場のスタンディング・オベーションが降り注ぐシーンをこの目で見たい。
◎ ミシェル・アザナヴィシウス(アーティスト)
Should Win:マーティン・スコセッシ(ヒューゴの不思議な発明)