ディス・イズ・アメリカ ― 「キャプテン・フィリップス」レビュー
2時間14分の長い長い拘束に激しく消耗する。
映画の開始から10分もすると、さっそくフィリップス船長を取り巻く環境は緊張状態へ。その後の約2時間、観客はフィリップス船長と同じ緊張と心労の継続を強いられることになる。船長の悪夢を追体験させることがこの映画のひとつの目的なのだろうが、もうほとんど拷問に近い。映画鑑賞の特権である対岸の火事的興奮はどこへやら、ひたすら苦悶するのみだ。
「沈黙の戦艦」リアル版のような設定にもかかわらず、この映画が苦悶しか生まないのは、はなからアメリカ視点の勧善懲悪な物語にNOをつきつけるからだ。もともとは漁師であった海賊たちがなぜ卑劣な行為に走るのか。そのルーツを生真面目に描き、終始彼らの“事情”に目配せする映画は、本来悪であるはずの側にも寄り添っている。海賊たちが話すソマリア語につけられた英語字幕がいい証拠だ。事件の追体験だけを目的とするのなら、字幕はつけず彼らを対話不能なモンスターとして描けばよい。
また、映画はフィリップス船長をことさら英雄視することもしない。船長という立場から自己犠牲の精神で行動するフィリップスだが、基本的にはすべてにおいて海賊の指示にしたがいコトを穏便に済ませようとする。それは彼らの“事情”を汲み取る酌量的な行為でもなければ、無抵抗=抵抗というヒロイズムでもない。