スコセッシとディカプリオの温度差 ― 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」レビュー
冒頭からノリのいい既成曲をBGMに破天荒なキャラクターたちが躍動する。ストップモーションに超速ズーム、そこにディカプリオのモノローグがかぶさって、「グッド・フェローズ」の出来上がりだ。
映画界の至宝マーティン・スコセッシは、カネと欲にまみれた現代アメリカの病そのものを体現する男の物語を、たくさんの引き出しからちょっとずつノウハウを取り出して上手い具合に調理してみせる。冒頭の「グッド・フェローズ」焼き直しを思わせる演出から、「アビエイター」に「ディパーテッド」、果ては「ケープ・フィアー」まで思い出を遡って、過去の遺産でつくりましたとばかりの手練手管を見せつける。
画作り、演技、全体のテンションは過激そのものだ。一見すれば狂気と見紛う露悪的な病魔がそこにあるように見える。しかし、どうにも小手先の器用さが見え隠れして、スコセッシ自身の創造的欲求が浮かび上がってこない。スクリーンからわき上がるのは、やはりレオナルド・ディカプリオという希代のカリスマが自身のアイドル像を破壊し、時代の発信者でありたいと願う強い強い欲求だ。