実存(=映画の中のリアル)が本質(=映画のテーマ)に先立つ ― 「アデル、ブルーは熱い色」レビュー
冒頭、教科書を朗読する生徒たちの表情をカメラはひとりひとり凝視する。不自然なまでのズームで人間の顔を捉えるそのスタイルは、3時間近い長尺の最後ま で続く。会話劇の最中にも対話する人間同士が同じフレームにおさまることなく、カメラはひとりの表情だけを無骨に追い続ける。
これは劇中の台詞にも登場するサルトルが唱える“対自である人間”の示唆だろう。“実存が本質に先立つ”なんて説明ではまるでピンとこないが、“人間とは自らが行動によってつくりあげるもの”という説明を聞けば、個人に粘着するカメラの意味を理解できる。
実際、吸い付くようなカメラを前に台詞を吐く登場人物たちは、まるで届くアテのない相手に独りよがりの思いを響かせているように見える。言葉は互いを理解し合うためのものではなく、自己を形づくるための手段と言わんばかりだ。