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第94回アカデミー賞授賞式に思うこと

PickUp ,アカデミー賞 記事:2022.03.29

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いまだコロナの影響が残る2022年3月27日、第94回アカデミー賞授賞式が米ロサンゼルスのドルビー・シアターにて開催されました。とはいえ、昨年に比べれば徹底した感染対策が表面化して式の進行を妨げるといった感はなく、まるで平時の式であるかのように華やかに彩られた演出が、映画業界のカムバックを高らかに宣言しているかのようでした。

今回の授賞式では大きく2つの改革がありました。まずひとつ目は美術賞など8部門の発表&授与を授賞式の生放送からカットしたこと。授賞式の時間を短縮するために「不人気部門にかける時間を削ること」は、これまでに何度も提案されてきましたが、今回ついにその改悪が実現してしまったのです。

授賞式の1時間前から、美術賞・編集賞・作曲賞・音響賞・メイクアップ&ヘアスタイリング賞、短編実写映画賞、短編アニメーション映画賞、短編ドキュメンタリー映画賞の発表&授与をおこない、授賞式生放送の最中にその模様が編集で挟み込まれる、という手法です。せめて、受賞者やノミニーへのリスペクトが失われないかたちでの放送となることを願っていたのですが、残念ながらそうはなりませんでした。授賞式がはじまる前にこの8部門の受賞結果はTwitter上のタイムラインに流れていましたし、編集された授与の模様は、差し込まれるタイミングも含めてもおざなりな感は否めず、とても残念な気持ちになりました。

たしかにこの措置によって授賞式の時間は短縮できたかもしれませんが、8つの部門の重要性が他に劣ると判断されかねない今回の措置は、「多様化」すなわち「公平性」の実現を目指すアカデミー協会の指針とは相容れないものだと思います。次回からの改善を強く願います。

ふたつ目の改革は、司会制度の復活です。さらに言えば、3人の司会がバトンをつなぐように式を進行するという形式は、史上初めての試みでした。ここ数年、これも授賞式の時間短縮と視聴率回復を目的として、伝統だった司会制度が廃止されました。プレゼンターたちが各々の持ち場で式の進行も兼任する方式は、事前の不安をよそにおおむね好評に迎えられていたようですが、私のような長年のオスカーウォッチャーからすれば、明らかに物足りないものでした。何より、式の「顔」が失われたわけですから、全体の輪郭がボヤけてしまったのは間違いありません。

そういう意味では、今回の授賞式はレジーナ・ホール、エイミー・シューマー、ワンダ・サイクスという3人の卓越した技量を持つ女性たちによって、唯一無二の個性を獲得したと言っていいと思います。彼女たちの攻めたジョークは何度も会場の大爆笑を誘っていましたし、近年著しい女性の活躍を印象づけるには十分でした。ただ、ベテラン俳優J・K・シモンズを若いティモシー・シャラメと比較して揶揄してみたり、イケメン俳優たちを舞台にあげてボディチェックしてみたりと、男女の立場が入れ替わったら非難轟々だったであろう過度なジョークも垣間見えました。

ともあれ、昨年に比べれば格段に華やかで、まるで平時に戻ったかのような式は、楽しく穏やかな時間を会場中が共有している空気が流れており、観ているこちらも嬉しくなるものでした。

感動的な瞬間も多く生まれました。最初に発表された助演女優賞のアリアナ・デボーズ(ウエスト・サイド・ストーリー)の受賞スピーチは、世界中のマイノリティたちの心を打つものでした。黒人で、クィアで、女性であることに悩んできた彼女が「私が約束します。私たちの居場所は確実にあるのです」と訴える姿には、劇中で演じたアニータ役をも超える強さがにじみ出ていました。

また、耳の聞こえないろう者として史上2人目となる演技賞(助演男優賞)を受賞したトロイ・コッツァー(コーダ あいのうた)が披露した手話での受賞スピーチも感動的なものでした。流れるような手話の動作ひとつひとつが、彼のたどってきた険しい道筋を想起させます。加えて、彼の手話を通訳して声にするパートナーとの絶妙なコンビネーションも、聴者とろう者の垣根を取り払うかのようなマジックを感じさせてくれました。ついでに言えば、プレゼンターのユン・ヨジョンが終始コッツァーの傍らに立ち、かわいらしいリアクションを見せていたことも忘れられないモーメントです。

そして、日本人にとっての最大の感動は、国際長編映画賞発表の瞬間に訪れます。プレゼンターのシム・リウ&ティファニー・ハディッシュから「ドライブ・マイ・カー」の名前が呼ばれると、濱口竜介監督と西島秀俊が満面の笑みを浮かべながらハグ。日本映画としては史上初となる作品賞ノミネートなど、まるで日本を背負うかのような期待を一身に受けていたわけですから、その受賞にホッとしたというのが本音ではないでしょうか。スピーチでの濱口監督は、高ぶる感情を抑えられないといった様相で感謝の言葉を矢継ぎ早に繰り出しました。通訳を介さず、自分の言葉で世界中に向けてメッセージを発信し、まるで子どものような笑顔を見せた濱口監督の姿は、日本人だけでなく世界中の人々の記憶に刻まれるはずです。

しかし、和やかで感動的な授賞式を突然のハプニングが襲います。長編ドキュメンタリー映画賞のプレゼンターとして登壇したクリス・ロックを、主演男優賞候補のウィル・スミスが平手打ちするという前代未聞の事件が起きてしまったのです。最初は、何が起きたのかわからず困惑するばかりでした。これも用意された演出なのかと疑いましたが、席に戻ったスミスがマイクなしの地声でFワードを繰り出しているのを目撃したとき、これがおぞましい事件であることに気付かされました。平手打ちされたクリス・ロックからは表情が消え、口角を上げただけのぎこちない笑顔が張り付いていました。会場も一斉に凍りつき、恐怖の瞬間を共有しているかのようでした。

スミスが激怒したのは、脱毛症を公表し、やむなく剃り上げた妻のヘアスタイルをジョークのネタ(ウィルの奥さん、「G.I.ジェーン※」の続編を楽しみにしてるよ ※デミ・ムーアがスキンヘッドで出演した映画)にされたことが原因でした。攻撃的なジョークを売りにするクリス・ロックからすれば、いつもの調子で軽くイジってやった、くらいのテンションだったでしょう。実際、会場からも笑いの声がこぼれていました。しかし、次の瞬間、スミスがすぐ階下の席からステージに上がり、ロックの頬を思いっきり平手打ちし、そのまま踵を返して妻のもとへと戻っていったのです。

その模様は短く編集され、Twitterなどネットでも大いに拡散しました。アカデミー賞史上例を見ないハプニングですから、世界中の注目が集まるのは当然です。この瞬間、第94回アカデミー賞はコロナからの復活を遂げた映画界の祭典ではなく、世界中の人々が見守るなかで「暴力」が発動した震源地となってしまったのです。

もちろん、ここでいう「暴力」はスミスによる平手打ちのことだけではありません。クリス・ロックが発した人を傷つけるジョークも立派な暴力です。長らく映画界を盛り上げてきた貢献者たる2人が、お互いの暴力で傷つけ合う姿を世界中に発信してしまったのです。ネット上では、妻を侮辱されたスミスのとった行動を称賛する声も多く見受けられました。ただ、私個人は、このスミスの行動を見てまず感じたのは恐怖です。いつも笑顔で穏やかなスミスが突如見せた鬼の形相に驚いた、という面も大きいですが、それ以上に暴力行為それ自体におぞましさを感じずにはいられませんでした。

妻の尊厳を守るためにとった行動、という字面だけみれば、スミスはヒーローそのものです。しかし、理由に関わらず、その行動によって恐怖や嫌悪感を呼び起こされた人も少なからずいたはずです。実際、その後の授賞式はこのハプニングの余波でまったく意味合いの違うものに変わってしまいました。ニュースで取り上げられるのもこの事件のことばかり。「コーダ あいのうた」の受賞をふくめた数々の感動的なモーメントが闇に葬られてしまったように感じます。

スミスの心情に寄り添えば、まったく違う景色も見えてきます。クリス・ロックが問題のジョークを発したとき、カメラは笑顔でこたえるスミスの姿を映していました。そのジョークが可笑しくて笑っていたわけではないでしょう。これこそが、これまで演じ続けてきたウィル・スミスという人格なのだと思います。ただ、横にいる妻の悲しい顔を見て、品行方正なスターとしての人格を脱ぎ捨て、家族を守るひとりの男として立ち上がったのでしょう。

主演男優賞を受賞した際のスピーチで、スミス自身もこう吐露しています。「私たちの仕事では、自分のことを悪く言われることもある。このビジネスでは、自分を見下す人がいても、笑顔でそれでいいというふりをしなければならない」。そんな厳しい瞬間を幾多と乗り越えてきたのだと想像します。だからこそ、これまでの苦難を思い、涙のスピーチとなったのでしょう。つい先刻の行動への悔恨の気持ちもあったかもしれません。

クリス・ロックの発したジョークは最低でした。言葉の暴力は、物理的な暴力よりも深い傷として残ります。今回の事件がこうした言葉の暴力への抑止力として働くのであれば、少しは意味があったのかなとも思います。少なくとも来年以降、アカデミー賞授賞式では人を傷つける可能性のあるジョークは影を潜めることになるでしょう。クリス・ロックにとっては大きな大きな汚点となるでしょうが、まずはスミス夫妻に深く謝罪し、和解への道を探ってほしいと思います。

ということで、この所感も気づけばハプニングのことが主体になってしまいました。他にも美しい瞬間はたくさんあったはずですが、思いを馳せることができません。もう少し気持ちを落ち着けて、冷静に見られるようになったら、あらためて授賞式の隅々を楽しみたいと思います。来年は本当に「平時」の授賞式となりますように。


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